子どもはいずれ、一人で生きてかなければならない
「先に死にゆくものとして」
子どもの死を見たいですか?
子どもと一緒に死にたいですか?
子どもより先に死にたいですか?
「これらの問いにあなたは何と答えますか」 ある勉強会で講師が問いかけました。
おおよその大人の答えは「いいえ、いいえ、はい」でしょう。私もそうです。
私たちは子どもより先に生まれました。同じように、私たちは子どもより先に死ななければなりません。子どもをこの世に残して逝かなければなりません。
それは。子どもがいつか、一人で生きていかなければならないということです。
「子どもが一人で生きていくことができる」ように育てなければならないということです。
しかし、一人で生きていくことが出来ない子どもが社会に放り出されているように思います。
4月。桜咲く旅立ちの季節。多くの若者が、大学に進学したり、就職のために、親元を離れて一人暮らしを始めます。では、そうした若者の中で、どれほどが本当に一人で生きていくことができるのでしょうか。
西日本新聞ブックレット「食卓の向こう側――キャンパス編」に、大学生のリアルな食生活が紹介されました。この調査のすごいところは、食べたものを、カメラで記録するところにあります。記述式のアンケート調査では、「昼食――おにぎり」と回答しても、それが手作りのものなのか、コンビニエンスストアのものなのかは分かりません。カメラの記録では、ウソやごまかしはありません。そのときに、どんな雰囲気で食べたのかまで伝わってきます。
佐賀大学理工学部のA君。よっぽどラーメンが好きなのでしょう。しかもインスタントラーメンばかりです。
熊本大学の法学部のB君。彼は昼食に必ず定食を食べています。定食を食べたくなる子は、小さい頃から、ご飯と一汁一菜を食べていたのだと思います。だから学食で定食を食べるのでしょう。
家を離れ、ふとした拍子に思い出すのは、お母さんの味噌汁や炊きたてのご飯です。
それを食べることで、子供たちの心はふるさとに帰っていきます。
しかし、味噌汁とおかずの作り方がわからないので、彼の場合、夕食はラーメンやコンビニ弁当です。
一方、女子大生のC子さんはどうかというと、これもひどい。パンやうどんばかり。最近の多くの女子大生がこうした食生活を送っているようです。やせたいから、あまり食事を食べないし、朝食や昼食を抜く時もある。
でも、お菓子やジュースを飲むのでいっこうに痩せません。そして、野菜を食べていません。おそらく、彼女は便秘で、生理痛もひどいでしょう。
この、A君とCさんが付き合いだしたら、食生活は三食ラーメンとなるでしょう。もし、できちゃった婚なんてなれば、その子どもは悲惨です。
B君とCさんが付き合い出せば。もしかしたらCさんは変わるかも知れません。ご飯とみそ汁とおかずが食べたいB君のために、Cさんは料理を勉強するようになるかも知れません。これが恋愛のすごいところです。女性は、恋愛、結婚、出産などの場面で、変わるチャンスがあります。
食生活だけではありません。
東京の大学に行った男の子。お母さんが、四月にマンションを借りて家財道具をすべて買いそろえました。テレビも掃除機も洗濯機もガスレンジも炊飯器もすべてです。半年後に様子を見に行くと、冷蔵庫には缶ビールしか入っていない。ガスレンジと炊飯器は使った形跡がない。ベッドに掛けたシーツは、半年前にお母さんが掛けたそのまんまです。
一人暮らしを始めれば、家事の力は自然に身につく、と考えているお母さんが多いようです。昔は、そうしなければ生活できないので、家事の力も身についていたかもしれません。
しかし、今は、お金を払うか、何かを多少我慢すれば生きてはいけます。家事の力は自然に身にはつきません。
先に死にゆくものとして、そうした子どもを残して逝くことができるでしょうか。
内田美智子・佐藤剛史著 「ここ」より